多分、台北の住民の中にも三脚渡という場所を知らない人がいるでしょう。三脚渡はかつて三角点を渡る渡し船場で、街と村を結ぶ交通機能を持ち、また住民の生計を支立てる船が泊まる港でした。しかし、民国 54 年に基隆河が初めて整備されて捷水路が開削された結果、埠頭の機能は徐々に衰退し消えていきましたが、漁師たちはこの場所を三脚渡と呼び続けています。
過去の最盛期には、停泊の船は 200 艘以上もあり、しばしば 4 万トンの船が上流のほうへ向かって汐止まで進み、大量の石炭を運んできました。ここに住民はほとんどが基隆河の水を飲んで育ちました。川辺で洗濯したり、鴨の飼育したり、蜆採りしたり、魚を釣ったり、エビ捕りしたりしていました。しかし、その後は川が工業排水によって汚染され、次第に基隆河から疎外されました。人間国宝級の竜船を作る職人劉清正(アジョン師)は、「国民政府が台湾に来た後、軍艦は 30、40 艘あり、㇐列に並んで圓山ホテルの下に停泊していました。その中には陽字号の駆逐艦も停泊していました」と言いました。
ここに来れば、埠頭の横に数隻のサンパ船、竜船が静かに埠頭に停泊し、三脚渡と基隆河の移り変わりを見守って意義のある歴史スポットでもあります。それに台北では珍しくサンパ船が並んで泊まる埠頭になりました。